沿革

沿革

沿革

(社)日本ウオーキング協会(JWA)は1964(昭和39)年10月17日、おりから「東京オリンピック」が開催されていた東京で「歩け歩けの会」として誕生しました。前年、歩いてサンフランシスコからニューヨークまで、アメリカ大陸6千キロ横断した早大生の大西七郎さんが、早稲田、日大、青山、慶応、中央、御茶の水等の各大学の学生仲間たちと「みんなで歩こう!」と呼びかけ始まったのです。初代会長は、監督として同オリンピックのレスリングで日本に金メダルを5つももたらした日本アマチュアレスリング協会の八田一朗会長が就任しました。

 学生を中心に、毎月第1日曜日をみんなで歩く日と定め、全国に歩け歩け運動を提唱、実践を重ね、海外にも足を伸ばしました。設立10周年を期して、「日本歩け歩け協会」(日歩協)と改称した会は、第二代の会長に、日本ユースホステル協会の創立メンバーでもあった金子智一理事長を迎えたことで、いっそう全国各地に歩け歩け運動の機運が高まっていったのです。徐々に社会人中心の運営に変わっていき、1983(昭和58)年6月5日、400人の会員が5万円ずつ基金を出し合い、環境庁(当時)認可の社団法人へと改組しました。
 そして、ウオーカーの、ウオーカーによる、ウオーカーのための協会として、ボランティア精神による受益者負担と自助努力をモットーに、金子智一会長のもと、国際マーチングリーグ(IML)、日本マーチングリーグ(JML)等を次々に創設、「2キロまではいつも歩こう」を合言葉に、国内にとどまらず、アジアに、そして広く世界に楽しいウオーキングの普及を目指そうと、積極的に事業を展開していきました。

 1997年11月には、江橋愼四郎第三代会長のもとで「第1回世界ウオーキングフェスティバル」を開催、世界26ヶ国の代表と千名を超える外国人ウオーカーが参加、同時期開かれていた「第20回記念日本スリーデーマーチ」には、なんと3日間で10万人を超える参加者を得たのです。
 1998年1月には、東京・水道橋の事務局を拡充して『日本ウオーキングセンター』を開設。日本ウオーキング学会との密接な連携のもとに、歩き大好きなボランティアスタッフの手によって科学的なウオーキングの探求も開始されました。
 そして2000年6月、21世紀を前に更なる発展の土台を固めんと、田中康彦第4代会長のもとに東京・御茶ノ水に事務局を移転し、協会名を「(社)日本ウオーキング協会」(JWA)と改称、その後各地にウオーキング協会が続々と誕生したことで、各都道府県に楽しいウオーキングの種が着実に植えられていったのです。

 2004年10月には、岡野吉春第5代会長のもと、協会設立40周年を迎え、2005(平成17)年8月15日には厚生労働省の法人許可も得ることができました。

次いで環境づくりに貢献する事業として環境省の認可社団法人としても自然保護や国土の新しい観光資源に寄与するなど活動の幅を拡大しました。

平成9年からは、歩いて日本の健康づくりをするテーマを設け、全国1800市町村を46都道府県の協力を経て3年の歳月をかけ国の健康日本21の、1に運動、2に食事、3に禁煙という運動体と連動した活動を行いました。

平成26年創立50周年を迎えるに当たり、公益法人等移行に伴う国の政策に従い2014年5月からは一般社団法人日本ウオーキング協会として内閣府の所管に移行致します。

そして、ますますの少子化・高齢化社会に貢献すべく、学術の分野と技芸の分野(指導者の育成)、慈善活動(大会・イベント等ウオーキングの実践による健康づくり)の3つのテーマを持って、新たに活動に参画していきます。

その上でガバナンス、法令遵守を旨として国体活動を更に深耕し、近い将来公益社団法人日本ウオーキング協会として認可していただけるよう更なる活動を重ねて参ります。

日本の数多くの人々に楽しく、健全な生活をもたらすウオーキングを多くの方々に親しんでもらう団体として存在していきます。

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